第26話   自称殿様の釣りの御仁   平成16年10月04日  

「釣への想い第34話の殿様の釣」の中で特注のハエ竿で釣っている御仁の話をした。その後、二才の釣場でたびたび会うようになった。話を聞いていると時々鼻に付くようなこともあるが、結構面白いことを話すこともある。自分に話する時と同じ様にお仕着せがましい態度で釣の話をするので他の釣り人の間でも結構評判になっていた。

何せ自分の釣が殿様の釣りで最高の釣と思い込んでおり、他の釣り方は認めたがらないのだからしょうがない。それでも彼の話を真に受けてそれまでの釣り方を止めて竿を買った老年の釣師が居た。長年培った釣り方を、止めてまですると云うものではない。彼は寉岡で長年その釣り方でやって来たから出来る釣方なのであって自己流で覚えようと思っても中々出来るものではない。散々講釈をしても、釣り方を手取り足取り教えてくれるような人でもなく、ただ釣り人をからかっているに過ぎないのである。

彼は潮を見ることが出来る、寉岡でも何人も居ないであろう釣師の一人と見た。釣れるか釣れないかの判断は大したものだ。潮が悪ければ釣らない。だから釣をやれば釣れるべくして必ず釣っている。暇を持て余して釣に来ている人とは釣り方が異なるのである。表面だけ見て真似ようと思っても出来ない釣なのである。

つい最近も釣場で会った時も、S社製のヘラの継竿でシノコダイを釣っていた釣り人をつかまえてからかっていた。「俺の竿はそんな固い竿とは違うぜ!手元が太く先だけ曲がるような竿ではシノコダイは釣れない。さっきまでここに居た人に貸してやったら、一時間も離さなかったぜ!!」「どうしたらこの竿は良くなるのだろう?」「俺のは大山の釣具屋の特注だからそん所そこらの竿とは違うのよ!買ってしまった竿だからしょうがないから、二番目をグラスの合うものを探して交換したらいい!」と滅茶苦茶な事を云う。いくらなんでもカーボンの竿に重いグラスを合わせては竿の調子が狂ってしまう。

「安竿を何本も買うよりも、本当は3万くらい出してヘラ竿の並継一本買ったほうが良いんだが!」とのたまいさっさと帰ってしまった。「小遣いの事もあるし、結局安い竿を探して買うしかないのだが・・・」とその釣り人。そこで「N社製のハエ竿だったら、1万も出せば立派な長尺物の二間半が注文で買えますヨ!二〜三才までなら少々荒っぽく使っても大丈夫です」とおせっかいな私。



延べ竿=殿様の釣と思い完全フカセの伝統釣法を誇りにして使っている人は鶴岡の釣師でも少なくなって来た。鶴岡の釣師もより釣れる機会の多い団子釣に転向している人が多くなって来ている。完全な延べ竿は、車では運べないし、かなり大きな乗用車でもより小さい篠子鯛釣が出来る1間半がやっとだ。二歳はともかくとして三歳以上を釣るのはどうしても出来れば三間竿だが、最低2間〜21尺の竿が欲しい。しかし、久しぶりの見事な完全フカセ釣法を雨が降っているのに傘もささずに我慢してしばらし見ていた。エビの尻尾を切り、竿+バカを二尋取り、風は余り強くなかったので思うポイントに上手く投げ入れられている。潮の流れを計算に入れコマセは初め少し遠くに入れ、次にポイントに正確に打つ。流石自慢するだけあって、手馴れた物だと感心する。其のうち雨足がだんだん強くなってきたので、車に逃げ込んだ。最近見た鶴岡のお年寄りの中では、この人が一番上手な打ち込みをしていた。見るだけでも価値がある。こう云った人たちは、竿に当りの出ない小物釣なんかでは糸ふけに出る微かな当りで魚を釣る技術も持っている。たいした物である。長年の修練の賜物である。

こうしたお年寄りの技術を小物釣りにだけでも延べ竿完全フカセの伝統釣法を残したいと思えた。この次の釣行には久しぶりに竿掛の奥から庄内竿を出して来て潮風に当らせようかと思った今日一日であった。